2010年9月アーカイブ

本能が満たされるときは、独特の快感を伴います。


眠る喜びは、何ものにも代えがたい快楽ですよね。


快楽としての眠りという役割は、無視できません。


睡眠の快感は、寝床に入って横たわるときの解放感や安堵感が最たるものでしょうが、入眠時や夢見のさいの幻想的な魂の飛翔感、目覚めのときの爽快感などもあります。


いっぽう、眠りは快いうえに、何もしないのですから、たっぷり眠るのはぜいたくだ、勤勉の敵だ、と考えられてもしかたない面もあります。


その快感ゆえに、禁欲的な立場の人々からは、眠りをむさぼることは悪徳とみなされ、きびしく戒められました。


逆に、眠気に逆らって仕事をすると、能率はあまり上がらないにもかかわらず、努力しているという実感が強くわいてきます。


だから、睡魔と闘うこともいわば自虐的な快楽の一種といえましょう。


これがさらに昇華すれば、たんなる快楽とは次元のちがう求道的な修業にもなるのです。


そして、眠りということばは、生理的な意味から離れて、起きてはいても意識レベルがひくいこと・・・


つまり努力への自覚が足らないこと、さらに悟りへ至っていないことを表現するさいにも使われているのです。